「自分たちは何者なのか」から、組織は動き始める。 マツダ前田育男氏が語る「意志」のマネジメント――部門の壁を越え、ブランドを全社でつくるまで
2026年9月14日、株式会社マネジメントソリューションズ(MSOL)は、マツダ株式会社 エグゼクティブフェロー ブランドデザイン担当の前田育男氏を迎え、対面講演を開催しました。
長年にわたりマツダのデザインを牽引し、「魂動(KODO)デザイン」をはじめ、現在につながるブランド表現を築いてきた前田氏。
その歩みを振り返ると、目を引くデザインやヒット商品を生み出すことだけが、ブランドづくりではないことが見えてきます。
自分たちは何者なのか。何を大切にするのか。
そして、その意志をどうすれば一部門の思いで終わらせず、組織全体の行動へと変えられるのか。
講演で語られたのは、デザインの方法論を超えた、ブランドと組織に対する一貫した思想でした。
本レポートでは、前田氏とMSOLの西田友宏による対話から、マツダのブランドづくりの背景にある「意志」と、それを部門の壁を越えて組織の力へと変えていくプロセスを紐解きます。
ブランドは、外からつくるものではない
マツダのブランドづくりを考えるうえで、その原点にあるのが「自分たちは何者なのか」という問いです。
マツダには、広島で培われてきたものづくりへの精神、ロータリーエンジンへの挑戦、ル・マンでの勝利、そして「人馬一体」に象徴される走る歓びへのこだわりがあります。
一方、経営環境が厳しさを増す中で、ブランドとしての個性が薄れ、自分たちらしさを十分に表現できない時期も経験しました。
前田氏がデザイン部門を率いることになった2009年頃、改めて突きつけられたのが、「マツダは、何者として存在するのか」という問いでした。ここで前田氏が目指したのは、外から新しいイメージを持ち込み、別の会社になることではなく、自分たちの歴史や文化の中にすでに存在している価値を掘り起こし、それを現代のブランドとして表現し直すことでした。
ブランドとは、外から「よく見せる」ためにつくるものではありません。
自分たちの内側にあるものと向き合い、「自分たちらしさとは何か」を見つけ、それを明確にしていくことから始まります。
マツダのブランドづくりは、まずこの自己認識から始まったのです。
左:マツダ株式会社 前田氏 中央:MSOL西田、右:MSOL佐藤
「魂動」は、デザインテーマではなく意志を共有する言葉
その意志を象徴する言葉が、「魂動(KODO)」です。
前田氏は、長く使い続けられ、世代が変わってもマツダが目指すものを共有できる言葉を求め続けました。そこで辿り着いたのが、「生命感」でした。
自動車は工業製品であり、物理的には鉄の塊です。しかし、その造形に命を感じさせることはできないか。止まっていても、今にも動き出しそうな緊張感や躍動を表現できないか。その思想を凝縮した言葉が「魂動」です。重要なのは、言葉をつくっただけでは終わらなかったことです。
前田氏は、生命の躍動を抽象的な造形として表したオブジェをつくり、さらにクレイモデルやビジョンモデルへと展開していきました。
言葉だけでは、人によって解釈が変わります。形だけでは、そこに込められた思想まで共有することは難しくなります。
だからこそ、言葉と形の両方で「自分たちは何を美しいと考えるのか」を示す。「魂動」は単なるデザインコンセプトではなく、異なる専門性を持つ人々が判断をするときの共通の軸になっていきました。
ブランドを組織に根づかせるとは、スローガンを浸透させることではありません。
迷ったときに立ち戻れる「判断基準」を組織の中につくることなのです。
この「自分たちなりの判断基準を持つ」という考え方は、価値観やニーズが多様化する現在において、さらに重要になっているのかもしれません。
講演では参加者から、品質と魅力価値によってブランドのポジションを捉えるKPIについて、「人々の感情や価値観が多様化し、機能と感情の境界も曖昧になる中で、こうした軸を明確に分けることにどこまで意味があるのか」という問いが投げかけられました。
前田氏は、人々の思考やニーズが多様化し、一つの答えに集約することが難しくなっていることを認めたうえで、だからこそ「自分たちの信念を前面に押し出す」ことが、人を惹きつける力になるのではないかと語ります。
さまざまなトレンドを追い続ければ、答えそのものが薄くなってしまう。マツダが選んだのは、人間の「五感」に訴えかけるものづくりを追求することでした。人間らしさや深み、味わいといった感覚をどこまで高められるか。世の中のトレンドを理解したうえで、それに合わせるのではなく、自分たちが信じる価値を突き詰めていく。
多様化する時代だからこそ、すべてのニーズに答えようとするのではなく、「自分たちは何を信じるのか」を明確にする。その姿勢そのものが、ブランドの輪郭をつくっていくのです。
正しさだけでは、人は動かない
しかし、強い思想や優れたビジョンがあれば、組織が自然に動くわけではありません。
前田氏が語ったプロセスで印象的なのは、むしろそこからの「泥臭さ」です。
デザインは、感覚的、主観的なものとして捉えられやすいものです。だからこそ前田氏は、客観的なデータも用いながら、自社が市場の中でどこに位置しているのかを示し、経営と対話するための共通言語をつくりました。同時に、それだけでは人の心までは動かないことも理解していました。経営陣一人ひとりと向き合い、自らの考えを伝える。言葉を選び、相手によって伝え方を変える。そして時には、説明を重ねる以上に、圧倒的な造形を目の前に提示する。
そこで目指したのは、「理屈として分かった」という納得だけではありません。
「これを実現したい」と相手自身が思う共感です。
参加者からは、新規事業など、取り組みを始めてもすぐには数字として成果が表れない活動になぞらえ、「デザインを変えたからといって、すぐに売上が上がるわけではない中で、どのように経営の理解を得て、デザイン経営を実現していったのか」という質問も上がりました。
前田氏は、経営陣一人ひとりに働きかけたものの、全員から賛同を得られたわけではなかったと振り返ります。そこで重要になったのが、考えに強く共感してくれる経営層の存在と、何よりも「物」の力でした。
モデルをつくり、目指す形や空間、質感を実際に目の前に提示する。そして、一瞬で「これはすごい」と感じてもらう。前田氏は、その一瞬のプレゼンテーションに「人生をかけるぐらい」の思いで臨んだと語ります。
理屈で理解してもらうだけではなく、実物を目の前にした瞬間に、心で「これは一緒にやった方がいい」と感じてもらう。そこから初めて、「では、どう実現するか」という対話が始まっていきました。
組織を動かすうえで、論理は欠かせません。ですが、論理だけで人が自ら動き始めるとは限りません。データによって「正しさ」を示し、形によって可能性を感じさせ、対話によって相手自身の意志へと変えていく。
前田氏の取り組みから見えてくるのは、ブランドづくりとは、一方的に正解を示して人を従わせることではなく、一人ひとりの中に同じ方向を向く理由をつくる営みだということです。
ブランドは、デザイン部門だけではつくれない
ブランドの意志が最も厳しく問われるのは、それを実際の商品として世に送り出す段階です。
象徴的な例の一つが、マツダを代表するボディカラー「ソウルレッド」です。デザイナーがどれほど理想的な色や造形を描いても、それを量産車として実現できなければ顧客には届きません。
デザインの理想を、生産技術や製造の条件へと翻訳する。逆に、製造側の制約をデザイン側が理解し、双方が目指す価値を実現する方法を考える。
そこでは、デザイン、生産技術、製造など、それぞれ異なる言葉や評価基準を持つ部門が、一つのゴールを共有する必要があります。
ブランドは、ブランド部門やデザイン部門だけで完成するものではありません。
商品をつくる人、技術をつくる人、売る人、顧客と接する人。その一つひとつの判断と行動が同じ思想につながったとき、初めて顧客から見た「ブランド」になります。
つまりブランドづくりとは、表現を統一する仕事である以前に、組織の判断を揃えていく仕事でもあるのです。
「自分たちらしさ」を、一貫して表現し続ける
マツダは、ブランドとしての存在感を確立していく過程で、車種を超えて一貫したデザイン表現を追求しました。その結果、「どの車も似ている」と評されることもありました。
しかし、まだブランドとしての明確な様式が確立されていない段階では、個々の商品で違いを出すこと以上に、「これがマツダだ」と認識されることが重要でした。
ここには、ブランドづくりにおける重要な示唆があります。
自分たちが大切にする価値を明確にするだけでは、ブランドにはなりません。商品やデザイン、技術など、一つひとつの意思決定の中で、その価値を一貫して表現し続ける必要があります。
個々の商品ごとに最適な答えを出すだけでなく、その判断が「自分たちらしいか」という共通の軸に立ち戻る。
そうした判断を積み重ねることで、個々の商品を超えたブランドとしての一貫性が生まれていきます。
「魂動」という思想を掲げ、それを一つの商品だけで終わらせず、さまざまな車種や顧客との接点へとつなげていく。そこには、ブランドを一時的な表現ではなく、長い時間をかけて育てていくという前田氏の姿勢が表れています。
ブランドとは、新しいイメージを次々と生み出すことではありません。
「自分たちは何者なのか」という原点に立ち戻りながら、その答えを一貫して表現し続ける。
その積み重ねによって、ブランドの輪郭は少しずつ明確になっていくのです。
外部評価は「目的」ではなく、組織を前へ進める力になる
ブランドづくりを進める中で、マツダのデザインは海外を含め、さまざまな外部評価を獲得していきました。
こうした評価には、顧客や市場からの評価という意味だけでなく、社内にも大きな意味があります。
組織の中で新しいことを始めるとき、その価値を最初から全員が信じているとは限りません。特に、従来のやり方から離れようとすればするほど、「本当にそれでいいのか」という疑問は生まれます。そのとき、社外からの評価は、自分たちの進んできた方向が間違っていなかったことを確認する客観的な材料になります。そして、次の挑戦への信頼を生みます。
評価を取ること自体が目的なのではありません。
外から得た評価を、組織の自信と次の意思決定につなげていく。
こうした循環が生まれることで、ブランドの意志は一部の人のものではなく、組織全体が信じられるものへと変わっていくのです。
そして、ブランドへの確信を生んだのは、賞や評価だけではありませんでした。前田氏が挙げたのが、「この色が欲しい」「マツダだから選ぶ」という顧客の声です。
ソウルレッドをはじめ、自分たちが信じてつくったものが、顧客に「マツダを選ぶ理由」として受け止められる。その手応えもまた、次の挑戦へ進む力になっていきました。
ブランドとは、未来に対する「意志」である
今回の講演を通じて浮かび上がったのは、ブランドをつくることと、組織を動かすことは切り離せないということです。
ブランドという言葉からは、ロゴや広告、デザイン、顧客からのイメージなどを思い浮かべることが多いかもしれません。しかし、その根底にあるのはもっとシンプルで、同時に難しい問いではないでしょうか。
自分たちは何者なのか。
何を大切にするのか。
どのような価値を届けていきたいのか。
その答えが曖昧であれば、環境が変わるたびに判断は揺れます。
反対に、自分たちの中に揺るがない軸があれば、正解のない状況でも「自分たちならどうするか」を考えることができます。
講演の終盤では、参加者から、マツダのブランドづくりにおける「20年」という長い時間軸についても質問が上がりました。それほど長期の構想を当初から経営層と共有していたのか。また、そこに至るまでの成功と失敗は、描いたシナリオの中にあったものなのか、という問いです。
前田氏は、最初から「20年」という数字を掲げて経営層に説明していたわけではないと明かしました。一方で、ブランドの価値を本質的に変えるには、それほどの時間がかかるという覚悟は持っていたといいます。最初から長期計画への理解を求めるのではなく、一歩ずつ実績と成果を示しながら、信頼を積み重ねていったのです。
その道のりも、すべてが想定通りだったわけではありません。前田氏が強調したのは、想定外の出来事そのものではなく、「想定外が起きたときにブレないこと」でした。短期的な数字だけを見れば難しい判断を迫られる局面でも、ブランドの価値を高めていくという軸を持ち続ける。その積み重ねが、現在のマツダのブランドにつながっています。
そして前田氏は、「失敗から学んだことの方が多い」とも振り返りました。
ブランドづくりは、完成されたシナリオを予定通り実行することではありません。試行錯誤を繰り返しながらも、自分たちが目指す方向を見失わず、その都度、次の一歩を選び続けていく。その姿勢にこそ、前田氏が講演で語った「信念」や「執念」の意味が表れているのではないでしょうか。
そして、その意志を組織の力にするためには、掲げるだけでは足りません。
言葉にする。形にする。データで示す。対話する。異なる部門の言葉へ翻訳する。そして、一つひとつの判断と行動につなげていく。
前田氏が長年にわたり取り組んできたブランドづくりは、そうした一つひとつの積み重ねでした。
不確実性が高まり、企業が次々と新しい選択を迫られる時代だからこそ、外に答えを求め続けるのではなく、一度、自分たちの内側を深く見つめ直す。
「私たちは、何者なのか。何を大切にする会社なのか」
その問いに向き合い続けることこそが、変化の中でも揺らがないブランドをつくり、部門の壁を越えて組織を動かしていく出発点なのかもしれません。
「自分たちは何者なのか」という意志を明確にし、それを一部門の思いで終わらせず、部門の壁を越えて組織の行動へとつなげていく。
今回の講演で語られたマツダの取り組みは、ブランドづくりに限らず、新規事業やDXをはじめ、正解のないテーマに向き合う多くの企業に通じる示唆を含んでいます。
株式会社マネジメントソリューションズ(MSOL)では、こうした部門横断の取り組みにおいて、関係者を巻き込みながらプロジェクトを前に進め、組織に実装していくためのマネジメントを支援しています。
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